忍者ブログ
ADMIN / ENTRY
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
リンク
プロフィール
HN:
webmk
性別:
非公開
職業:
会社員
趣味:
ウロウロすること
自己紹介:
東京都多摩地区に棲息中。
ニッポンが好きです。

特亜と組んでる奴らとか
売国奴は( ゚ω゚ ) お断りします
P R
最新コメント
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
こんぬつわ
<<  2024/11  >>
10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 
[781]  [780]  [779]  [778]  [777]  [776]  [775]  [774]  [773]  [772]  [771
2024/11/25  08:00:37
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2011/03/30  20:27:39
「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。

東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、
重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。
1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、
坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。

「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」
本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。
結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)

地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。
大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。

地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、
曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。

巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。
地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。
先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。

-----------------------------------------------------------------------------------------
姉吉地区って、本州最東端への入り口だよね。
ワタクシ2009年の9月頃に行ってます。動画も撮ってます。↓




もうトドヶ崎へは行けないのかな? クルマを止めたキャンプ場も壊滅ですか?
あぁなんか想像したくないな。泣けてくる。

でも住民の皆さんが無事でなによりです。
復興のお手伝いでもと思い、僅かですが各所にて募金をさせていただいています。

PR
この記事にコメントする
お名前:
タイトル:
文字色:
メールアドレス:
URL:
コメント:
パスワード:   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
Powerd by NINJAブログ / Designed by SUSH
Copyright © webmk@blog All Rights Reserved.
忍者ブログ [PR]